月と桜と夜の闇

 ひなびた温泉宿。純和風のどっしりとした造り。障子を開ければ眼下に川の流れが見えるような、侘び寂びのある部屋に、二人の外国人男性が座っている。
 一人は宿の用意した浴衣をしっかりと着こなし、もう一人は着慣れぬ和服に鏡の前で右往左往。畳や襖が並ぶ部屋に、かなり不似合いな、思わず笑ってしまうよな光景であった。
「やっぱり着せてもらうべきだったよな~」
浴衣の帯が止めらず、四苦八苦していた青年がぼやいた。
「ナイトローブとたいした違いはないと思うんだが……」
慣れた手つきで茶をすすっていた、金髪の男が返す。
「生憎、俺はそういうのも着つけてないんでね」
自分が着られるからって、ベルボーイ帰さないでくださいよ、などといいながら、さらに浴衣が崩れていく。それを見て、男はやれやれと言いながら笑みを浮かべた。
 浴衣の着付けで厄介なのは、帯の締め方と位置。洋物のナイトローブやバスローブとは違い、下腹を抑えるように、ぴたっと締めなければならない。日本人でも時折着付けがうまくできない者もいるのに、この男性の着こなしには関心するより他無い。これで自分で着付けたというのだから驚きである。
「どれ」
立ち上がると、背の高さが際立つ。浴衣のサイズもどうやらギリギリのようだ。
 男は青年の背後から手を伸ばすと、帯をとり、青年の浴衣を前で合わせた。するすると器用に帯を巻き、腰の後ろで止めた。
「ほれ」
「あ…ありがとうございます…」

 ギース・ハワードがビリー・カーンを掴まえて「日本に行く」と言い出したのは、一昨日のことだった。航空チケットも宿の手配も、総て自分で(というよりは秘書のリッパーに指示をして)準備したらしく、ビリーは直前まで、何も知らされないまま、日本へつれてこられた。
 日本の地へは何度か来ていて、一時は修行と称して長期の滞在もしたから、嫌いではない。乗り物の運行時間の正確さは、思わず笑ってしまうくらいだし、必要なものが、何時だろうとそれなりに何でも揃う。水も食事も美味い。
 だが苦手なものもある。特に食文化では、魚の類は生でも焼いても苦手だし、ナットーだとかヤマイモだとかのネバネバしたような食材には、かなり懲りている。
 それでも、日本好きの上司に連れられて、あちこち廻るのは、物珍しさもあってそれなりに楽しい。しかし、
「けど、なんでまた、急に」
ハワード・コネクションの総帥であるギース・ハワードは、決して暇な人間ではない。もう少し余裕のある計画を立ててもいいだろう。
「季節もの…というか、……ちょっと確かめたい事があってな」
ギースの目は僅かに遠くを見ていた。

 夕餉を済ませて、少し腹を落ち着けていると、ギースが立ち上がった。
「ロテンブロがあるそうだが、お前、どうする?」
「あ、お供しますよ」
 部屋にひとり残されては退屈この上ないので、ビリーはあわててギースの後に続いて立ち上がった。
「中でサケでも頼めると良いのだが」
「あんたは本当に、普通は要らん様な知識をずいぶん持ってますよね」
 「通」なのか、「オタク」なのか。とにかく、無駄に知識が多い。ほとんど正確なので感心するが、箸の持ち方をレクチャーされたときは流石に辟易した。
 先にロテンブロへ行ってしまったギースを追いかけて脱衣場で浴衣を丸めていると、よぼよぼの老人がビリーとすれ違って、酷くギョッとした顔を見せる。心臓でも止まったりしなければ良いが、などと思いながら浴場の方に顔を出したら、ギース以外誰も入っていなかった。さっきの老人は、ギースを見て慌てて出てきたんだろうか?
(…いくらなんでも、追い出したりはしないよな)
 肩まで湯に浸かりながら、空を仰ぐと、星が美しかった。日本の夜空は、見る場所によってかなり表情が違う。街なかの明るい光の中では、薄墨を流したような色であったし、山奥の寂れた湯治場へ来れば、星が、手に掴めそうなくらい輝いている。
 横目には、ギースが宿の人間に用意してもらった日本酒を、丸いトレイに載せて湯船に浮かべていた。
(微妙に、似合うような似合わんような)
そんなことを思っていると、ギースがこちらを振り返った。
「?…飲むか?」
 ねだったと思われたらしい。本当の理由を説明するのもなんだったし、下手に誤魔化そうとすれば勘の良いギースのことだ、大人しく流してくれるとは思えない。ビリーはハイと返して、猪口を受け取った。
 何でこんなにちびちび飲むんだろう、と思う。一杯がついと喉の奥に消えるから、ビリーはギースに酌をしながら、さらにもう二杯ほど酒を口にした。

 暫くして、目の周りがぼうっとしてきたのを感じる。元々、湯船に浸かる習慣があるわけではなく、常日頃はシャワーが主だ。長湯が得意ではない上に、アルコールが入ったため、ビリーは視界がゆっくり揺れていくのを感じた。
「大丈夫か?」
「…ちょっと…廻ったかも…」
よっぽどの顔色をしていたのか、ギースが珍しく眉を寄せて表情を変えていた。先に立ち上がって、ビリーの腕を抱える。
「立てるか」
「あつー…」
腕を引かれて立ち上がると、少し頭がくらくらする。
「しょうの無いやつだな。そこで少し横になっていろ」
脱衣場まで連れて行かれ、長椅子に身体を横たえさせられた。バスタオルをかけられ、廻る天井をしばし見つめる。
 気分はさほど悪くないが、何せ熱い。ビリーは自らの頬に手を当てて、己の熱を確認した。
「水を飲むか?」
長椅子の余ったところに腰を下ろして、ギースが尋ねる。もう、浴衣を羽織ってしまっているようだ。
「すいません」
「オンセン浴は、細く、長くが基本だというが、まさにだな」
うっすら笑って、彼はビリーの濡れた髪を撫でた。

「酔い覚ましに、少し歩けるか?」
ようやく起き上がれるようになったビリーに、再び浴衣を着付けてギースが問う。
 首筋や耳の後ろがぼうっと熱かったが、その熱を冷ましたい思いもあってビリーは首を縦にコクリと振った。
 旅館の出口で丹前を渡されたので、それを羽織って外へ出る。
 春の先触れもまだ訪れぬ、夜風は少し肌に寒い。微妙に湯冷が心配だったが、二人はそのまま歩き出した。
 下駄が履き慣れない為か、ビリーは少々足取りが重い。ちょっと主に遅れながら、その広い背中を追いかけて歩く。不思議なほど、その光景に違和感が無い。
(精神的にサムライに近いンかね)
背筋を伸ばして歩くさまは、まるで「ブシ」とか「ローニン」の様だ。
 自分もちょっと真似て歩いてみたが、危うく下駄が脱げそうになった。
「まだ少しふらつくか」
変な声が出たんで、ギースが振り返った。
「あ、いえ」
「無理して歩くな、足を痛めるから」
不思議と、気を使われている気がする。ギースの歩くペースが少し落ちた。
 ふらりふらりと歩くギースを追いかけて、旅館の裏の林を抜け、短い橋を越え、暗い山道に入る。
「あ、あの」
「もう少し、付き合え。……大丈夫か」
「あ、はい」
 うっそうとして、土のにおいがきつくなる。街灯などの光が届かなくなって、周りが少し見えづらい。
(ドコまで、行く気なんだろう)
 丁度、山の裏側まで廻ってきたところで、月の淡い光が届くようになった。黒く浮かび上がるギースの影の奥に、うっすら青白いものが映った。
「見えた」
ギースが立ち止まる。
「う、わ」
その背の向こうを覗き込み、ビリーは思わず息をのんだ。
 月の光に照らされて、白く浮かび上がったのは、1本の桜の巨木。
 大きな枝振りを、地面ギリギリまで這わせて、いっぱいに枝を伸ばし、こぼれんばかりの花を乗せている。
「…んだ、コレ」
桜の時期にはまだ早い。なのに、ここだけ、この樹だけ、まるで「間違えてしまった」ように、満開の桜が咲き乱れている。
「早咲きなのだな、おそらく」
ポツリとギースが言った。
 ビリーは息をのんだまま、吸い寄せられるように、その桜の幹へよった。夜目に黒く、ごつごつとした肌に触れ、そこから上を見上げた。
 薄紫に見える花霞の切れ間切れ間に、宙の黒と月光の青白さが透けて、なんだか別世界に居るようだった。
 こんな時期に。こんなに見事に。「桜の季節」には、誰にも顧みられずに。ただ、毎年、毎年、同じように……。
「大分以前に…垣間に見たような記憶があってな」
それが桜だったのかなんだったのか、当時は確かめられなかった。そう言いながら、ビリーと同じく宙を見上げる。
「見事に花をつける桜の木は、その根元に死体が埋まっている、などというが」
冗談のつもりだったのだろうか。
 しかしビリーはぴくりとも反応しない。
「ビリー?」
気づいて怪訝そうに、名を呼ぶ。
 闇に鮮やかな白金の髪が揺れた。
 振り返ったビリーが泣いていた。次の瞬間はっとして、ビリーは自分の頬をぬぐう。
「いや、あの…すいません。なんか…何でもないんですけど…」
自分でも、涙が流れた理由がよくわからないらしい。
 風が一陣通り過ぎた。
 咲ききった桜の花が、いくらかこぼれ、吹雪いた。
「う…」
風に目を瞑る。
 再び目を開けると、目の前に、ギースが居た。
「あ」
手が伸びて、ビリーの頬を指がすべる。ふっと離れた指先に、花びらがつままれていた。
「ギース?」
「まだだ…ここにも…」
言って首筋に手が伸びる。襟元から、指が滑り込んだ。そのまま浴衣の合わせ目に手が入り、左の鎖骨と胸骨の間で止まった。
「汗で、くっついてしまうのだな」
今度は手は離れない。
続けざま顔が近づく。うなじに唇が触れた。
「ん…」
少しのけぞって、樹の幹に体を預ける。
「ギースっ……」
ビリーがわずかに抵抗を見せる。
「…めだったら…」
手がさらに、浴衣の奥に滑る。
「それ以上やったら…俺…歩けなく…なるから」
 もう一度風が抜けた。
 その風に、また目を細めて。うすぼけた視界に、ギースの目が映る。
 ゆっくりと、唇が重なった。
「んんっ」
抵抗を止めたのがいけなかったのか、腰に回された手によって浴衣の帯がとかれてしまった。緊張の無くなった布が、合わせ目からゆっくり風を受け入れていく。
「やめ…、…だっ…」
ビリーがまた抵抗を始めた。
 しかし今度はそれを無理やり制して、ギースが再度ビリーの唇を奪う。
 いつに無く状況を顧みない態度に、驚く間もなく身体が熱を帯びる。
 ギースの手が肌を滑るたび、確実に息が上がっていく。唇が皮膚に吸い付いて、薄紅の印を散らし始める。
(まさか…ここで…?)
予期していない、準備もしていない。おまけに土の上だ。
 既にギースの手は、感度の高い部分を狙い始めて。より核心に触れ始めている。
「あっ…!」
不意に片脚を少し抱えあげられた。
 かろうじて、樹に寄りかかっているものの、バランスを崩したら背中から地面に倒れこんでしまう。
「ちょ、よせったら…本当に…」
本気で抵抗を見せる。が、ギースは構わずにビリーの脚へさらに力を加えた。
「く…」
 屋外で、コレだけ制御の利かないギースを見るのは初めてだった。
 これ以上抵抗しても、きっと成果は上がらない。
 無理に強硬な態度を取って服を破かれるなど、取り返しのつかない事態になる前に、観念した方が良いと思ったのか、ビリーはギースの首に腕を回す。
 後は、せめて土の上に押し倒されてしまわないよう、背を桜に預けて祈るのみであった。

 木の幹に身体を押し付けられ、両足が地面から浮いてしまった状態で、ギースを受け入れる。
「っ…! い、…!」
悲痛な声。
 それでも構わずに。
「つぅ…っく…」
 容赦のないギースの動き。
(……これってやっぱ……)
「い…た…」
搾り出すような、高い声。
 痛みがひどくて、ちょっとだけ、目に涙が浮かぶ。
(…欲情…されてんだよなぁ…)
そう思ったら、少しだけ、体が熱くなった。
 多分、傷が、付いた。しかし、行為に没頭するギースの邪魔をしたくなくて、彼を、我に返してしまうのが惜しい気がして、ビリーは必死に声を押し殺す。なるべく、なるべく、ため息で誤魔化すように、息を、吐く。
 おそらく最後は、叫び声に近いものが飛び出てしまうんだろうけれど。
 覚悟を決めて、ビリーはギースにしがみ付いた。

 房のように咲き乱れた花の隙間から、月が見える。月光を浴びながら、ビリーは少し、身体が冷えたのを感じていた。
 しかし、まだ意識と身体は巧く繋がらない。
 桜の木の根元に座り込んで肢体を露にしている自分に気づき、勘弁してくれ、とは思うのだが、呆けた顔のままあえて表には出さない。
 だって…既に彼はきまりの悪い顔をしているから。
 流石に珍しすぎて、いつもの調子との違いに、ちょっとだけ戸惑っているようだけれど。
「ギース様?」
「……」
彼は声も発しなかった。
「ちょっと手ェ貸してください」
いくらなんでも、そろそろこのままではまずい。しかし手を貸せといったビリーのほうが、腕も上げられない状態だった。
「立てるのか?」
ギースが腕を伸ばす。その腕を何とか引き寄せて、ビリーはギースの肩と首に手を回した。
 抱えられるようにして、体勢を立て直したが、脚が震える。
 少し、幹に体重を預けて、ビリーは浴衣の前を合わせた。
「どうしましょうね…コレ」
流石にあの状況下で、自分の身体は痛みで「それどころ」ではなかったから、取り返しのつかない汚れ方はしていないが、所々、浴衣や身体に土がついている。散歩に出た、ではちょっと済まされない汚れ方だった。
 ギースはちょっと考えて、ビリーの浴衣の帯を締めてやると、そのまま彼の背中と膝の裏に腕を回し、身体を抱え上げた。
「わっ、ちょっと、ギース様?」
「あんまり暴れるな。お前は"足を挫いている"のだから」
 一瞬、訳がわからず、その直後意を解して、思わずビリーは笑ってしまう。多分、任せてけば旅館の人間に対しても、ギースが巧く誤魔化してくれるんだろう。
(でも……)
ふっと思ってくすくすと笑い出す。
「何だ」
笑い声に気づいて、ギースがビリーを見る。
「いえ…桜、キレイでしたね」
先ほどの笑いが、その言葉とは、微妙に別な方向を示しているのだと、感じてはいるのだろうが、ギースはそれ以上掘り下げてこない。
(やっぱ、…"キレがイマイチ"だよな、今日は)
もう一度、ビリーはくすくすと笑った。

 元来た道をギースに抱えられて戻りながら、ビリーはふと、彼の首に花びらを見つけた。
 取ろうか取るまいか迷っていると、ヒュウと抜けた風に花びらがさらわれる。目線でそれを追っていくと、ギースの肩越しに、あの桜が、白くボンヤリと映って見えた。
(綺麗な桜の木の下には、死体があるだって…)
「ねぇ、ギース様」
「どうした」
「俺は、妖精かなにか居るんじゃないかと思うんだけど…やっぱり死体じゃなきゃダメですかね?」
 瞬間、ギースの表情が変わって。最後は不思議な笑みとなって。それから、彼は口を僅かに開いた。
「…完敗だな」
 思いもかけないその言葉に、今度はビリーがギョッとして。そのまま静かに唇を奪われていった。

-Fin.-

 あいあい。さーどーでしょー(何)。

 この小説の元ネタは、カイナさんとの会話から。地元の桜がとてもとても美しいそうで。そんな話を伺いつつ。つーか私、桜大好きなんですよ。日本の花といえば桜だろ!ってくらい、大好き。そんで、ギー様のイメェジにもかぶるところがあったり。

 そんなわけで、裏ガラのシンボルは、「月と桜と夜の闇」なわけです。このSSの中の月は、満月に近いほうですが、サイトのほうの月は月食で欠けてます。欠月なのは、ギー様のイメェジと、刀のイメェジ。

 そういえば、「菊と刀」なんて本があったな。ルース・ベネディクト。日本考。最初、「天皇と軍」って意味なのかと思ったら、どうやら違うらしい。

 そうじゃなくて。

 とりあえず、この小説のポイントを幾つか上げてみますと、

・屋外では無理だろ
・散歩中のギーやんが微妙に優し気なのは酔ってるから(笑)
・ギー様が本格的に欲情してしまったのは、2回目の風のせい
・作者の持っているおかしな異文化考に苦笑(もっとちゃんと描け)
・ちなみに温泉浴時は浴衣の下に下着はつけません(爆笑)

 あとなんでしょうね、この二人、いつもより若い気がします。ビリーも幼いし。

 本当はマンガでやりたいネタなんですが、ギースの表情が…最後の表情が難しすぎて描けません。ギースが眉を寄せてうっすら笑みながら「参った参った」なんて顔…描けるかッ!

タイアップ>>[月と桜と夜の闇]

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