ギース・ハワードは二度笑う
目の前の瞳は、明らかにいらついていた。
既に予測していた事だ。サウスタウンにに再び戻る日程を固めた、それよりも以前から、この男のこの顔を目にすることは見当が付いていた。
「納得できません」
極端に感情的ではなかったが、ぴりぴりとした空気をまとってビリーが声を発する。
「ギース様!」
主に対し珍しく非難めいた物言いをする彼を、ギースの眼は真っ直ぐに見つめていた。
懐かしさすら感じる執務室へギースが腰を落ち着けたのは、市長に顔を見せた後だ。演説の壇上、紙のように真っ白な顔で泡を吹いた市長を尻目に車でタワーへ帰還した。そこまでは良い。
「何で俺が、留守番なんですか!」
全面ガラス張りの窓から街を眺め、コーヒーに口をつけた後、ギースがビリーに出した指示――ギースタワーでの待機――それこそが、このいらつきの原因なのだった。
帰還後に開催するキングオブファイターズ。これにあたってギースはビリーに欠場を指示した。当のビリーにしてみれば納得できるはずがない。ギースがこの街を離れて以来、耐えに耐え、待ちに待ったその瞬間に、主の手で蚊帳の外へ放り出されてしまったのだ。
「俺がどんな思いで……待っていたか……知らない訳ないでしょう」
眉間のしわが深くなる。
「何で、俺だけ……」
自分に代わって、秘書のリッパーとホッパーは共に車での移動に同行することになっている。先にそれを知っていたために、ビリーの疎外感は更に増幅されていた。
ギースはカップをソーサーに置くと、デスクを離れてビリーの目の前に立った。身長の差でビリーの顎を上げさせる。見上げてくるその視線は、まるで噛み付くかのように感じられた。
「ギース様!」
何度名を呼んでも、眼前の表情は変わらないままだ。怒りも嫌悪も笑みもない。しかし目だけははっきりとビリーを映し、真っ直ぐ見据えている。そして、何も、指示も説明も、なだめる言葉すら、発することはなかった。
「……なんとか、言って、ください」
耐えかねて、目線を下げる。この様を、変わらぬ表情で見ているであろう主を思い、知らずビリーは唇を噛んでいた。
「まったく、一から十まで予測通りの行動をしてくれる」
声にはっとして顔を上げたビリーの視界に、僅かに端を上げたギースの口元が見えた。それと同時に頬へ指が触れ、顎が強制的に上向きになる。再びギースと目が合った。
「いいか、ビリー。今回のキングオブファイターズはな、セレモニーだ」
生気に満ちた瞳だった。
青く、青く、深く。力強さと生命力と闘志を湛え、総てを飲み込むような、色をしていた。
「この街に帰り着いてなお、私は未だ地上に居る。だからこそ――」
顎を持つ手に力が入った。
「私自身の手で、眼前にあるものを、あらゆるものを、駆逐し、圧倒する。私の邪魔をする者どもをこの手で一掃し、再び私の名をこの街の総てに刻み込んでやるのだ」
ビリーは気が付いた。この、主の抱えた 鬱積と憤懣と忸怩たる思い。むしろ、ギースの方が、この街への帰還を、この場所への帰着を、何よりも切望していたのではなかったか。生きているだけでこの街の住人大半にとって恐怖となるであろう彼が、なお勝利することに拘るその対象、その舞台、その理由。それに気づいた瞬間、あれだけ言いたいことが山ほどあったというのに、ビリーにはもう、発する言葉がなくなっていた。
「それにな」
大人しくなったビリーを見て、ギースは満足そうに彼の顎を解放しながら続けた。
「お前をタワーに残すのにはまだ理由がある」
机上に置かれた書類を手に取り、ビリーに見せる。移動中にリッパーから渡されていた資料のようだ。
「シュトロハイムは暫く動くまい。だが、それに代わって私の街に潜り込んだネズミが数匹居る」
渡された資料には写真が挿まれており、薄暗い街を背景に、黒ずくめの男と少年……のような小柄な影が二つ写されていた。ぶれている上にピントが合っておらず、顔も服装も詳細ははっきりとは分からない。だが、明らかにこの3人は、撮影者に気づいていた。
「新参ですね。街の外でも見たことが無い」
恐らく、大会への正式なエントリーも無いだろう。主と秘書二人が中枢を空けるというのに、得体の知れぬ反乱分子を野放しにしておくわけにはいかない。ビリーは書類を挟んだ指に静かに力を込めた。
「居場所が分かり次第、直接コンタクトを取りますか。向こうが手を出してくるようなら、叩く口実にもなりますし」
ビリーにとってはほぼ教科書通りの問いだった。後はギースの一言を待つだけだと。しかし、
「いや、見失わぬよう監視に専念しろ。今回は奴らの情報収集が先だ」
ギースの口から出た指示は、またもやビリーに釈然としない表情を作らせた。
その変化を即座に見て取り、ギースが言葉を続ける。
「私がここに戻るまで、待機を優先しろ、と言っている」
それでもまだ、寄せた眉根を元に戻そうとしないビリーを見て、ギースは笑みを、明らかな笑みを浮かべて向き直った。
「……久しぶりの帰還だというのに、誰にも出迎えてもらえんのは、流石に面白くないだろう?」
ビリーがギースの思惑一切を完全に把握するのに、瞬き一度の時間を要した。
「優勝者には褒美も必要だ。期待している」
最後の言葉に僅かながらプレッシャーを加味し、ギースはビリーを見つめた。
ビリーの退室後、その顔色の変化を反芻しながら、ギースはコーヒーの残りを口に運んでいた。
「……つくづく、面白いように予想通りの反応を見せてくれる男だな」
飲みかけのコーヒーにも似た室内のぬるい空気を自嘲しながら、机上の書類を再度眺める。
ぼやけた影が写真越しに放つ殺気をその身に感じても、不思議と笑みばかりがこぼれてくる己に気が付く。しかしその源は、先ほどの部下との会話がもたらした微温的な充足感では決してない。
「くっくっ……願わくば、野たれ死んでくれるようなタマでないことを祈るばかりだな」
全身が、血の巡りを、気の流れを、熱の高まりを感じ、喜びに震えているようだった。
「見ていろ」
低く発された声はまるで烈々と滾る野心を隠すかの如く、凍えるほどの視線を窓の外に投げかけながら、彼は宣言する。
「勝つのはただ一人――この、私だ」
-Fin.-
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