「早仕立てにした割には合ってるな」 声に顔を上げると鏡越しに薄く笑みを浮かべた主人の顔が目に入った。 新調したスーツに袖を通し、鏡の前で襟を整えていた俺は、肩越しに主人を目視して、そして身体をくるりと回転してみせた。 スーツは元々苦手だった。身体を大きく動かすのに向いてない。棍術を使う身としては腕や胸周りの可動には気を使う。 スーツのボタンは腹の前で一つだけ留めたが、シャツは首元をきっちり留めるかと迷っているのだ。 「式典の場じゃぁタイが要りますかね?」 主人の反応は我ながら少し気になる。 普段仕事中であればTPOに合わせて畏まった装いもする。側近が場にそぐわない姿を晒すのは主人の価値を下げる行為と慎む思いも無くはない。 「フン、主催でもあるまいし、ある意味息抜きのようなものだろう?」 のような、の部分にわずかながらも意図を感じて事の発端を思い出す。 ヤクザ崩れのブローカーから持ち掛けられた取引に、珍しく場所と同行者の条件が附された。 KOFの開幕式、観客席に主人を連れてこい――あの男はそう言った。招待客用のチケットを振りながら明らかな企みを含んで笑んだ男の顔が脳裏に蘇る。 「しかし山崎の野郎……ギース様までヤツの要求に応じる必要はなかったのでは」 普段はそんな芝居じみた段取りより「あれば売る」という体で、情報も命もさながら煙草を売り買いするが如くだったはずだ。 「やっぱり罠……ですかね」 ハナから信用などしていないが、主人が面倒に巻き込まれるのは避けなければならない。 ゴロツキ同士の仲である。交わした取り決めなど反故にして自分一人で赴くつもりだったが、予想外に主人が乗り気になった。 折角だから粧(めか)すが良い、新しいスーツでも見立ててやろうなどと言われて、俺は今日ここに連れてこられた訳だが。 「なに、つまらん余興なら相応のケジメを付けさせるだけだ」 そんな事より、と主人は顎に手を当てて少し考える素振りをして見せた後、 「やはりもう少し遊びが要るな」 言って俺との距離を詰めた。 胸元に手を伸ばすとワイシャツのボタンを二つほど外しそのままうなじを指が這う。 「ちょ」 反射も追いつかないうちにシャツの襟が立てられると、ゆっくり折り返されていくのが分かった。 「見ろ、伊達男の仕上がりだ」 半身を振り向けて鏡を見ると、どこのマフィアの構成員かと見紛う出で立ちの己が映る。 「これはさすがに……」 「なんだ。文句があるのか。」 言葉と違って表情はひどく楽しそうに。 「いえ、しかしギース様とのバランスが……」 言い淀む俺を弄ぶように口角をわずかにあげて。 「ならば私が合わせれば良いのだろう?お前に似つかわしいように」 有無を言わせぬ物言いに、もうこれ以上言葉が出ない。 それでも訴えるような視線は気に留まったのか、主人は俺に僅か顔を寄せ囁く。 「よく仕上がった懐刀を見せびらかしたい私の意も汲め」 途端に心拍数と体温が跳ね上がるのを、俺は抑えることができなかった。 -Fin.-![]()
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