まれに在る、日常
俺の喘ぎばかりが響く、薄暗い闇のベールの中で、この人はいつも、まるで息を止めているかのように、静かに、俺を抱くんだ。
室内の暗さにはもうすっかり目が慣れてしまって、サイドランプに照らされた目の前の肌色がやけに明るく感じられる。乾いてもいない、汗ばんでもいない。しっとりとした人の肌の質感。
「んうっ」
今さっきまで、自分の中に「居るだけ」であった存在が、ゆっくりと動きを伴い、たまらず声を出す。普段の俺を知っている人間なら、ぎょっとするくらい、高い声。
「っ、あっ、っ」
のどが詰まるような、くっとも、うっともつかないような声に混じって、時折はっきりと、あっ、とか、ひっ、なんて声が出て行く。
絶対に、声を出すまいと思っていても、この人に、巧く搾り出されてしまう。一度どこかで声が出てしまうと、もう、そのまま出し続けてしまうほうが楽で。声の後を意識が追っていく。止まらない。
「や、も……」
懇願。
限界を知らせて、なお、この人が最後に手を下すのを待つ。
溜めて、溜めて、限界を超えて、それで、やっと許可されるのを、望むように。この人が俺自身を解き放つのを、合わせて高めながら、待つ。
「あぁっ…い……クゥッ…!」
この人の満足げな顔を見ながら果てるのが、俺は好きだ。
時折、この人が交える扇情的な言葉。それに辱められながら、そのまま溶けてしまいたい、そんな衝動に駆られる。
そしていつも、俺は我に返ってしまうんだ。
朦朧とした意識の中で、まだ熱いままのこの人が、俺から出て行くとき。逃げるように、俺の体から離れていくとき。たまらなく、満たされない思いに襲われる。
「ギース…」
一足早くシャワーを浴びてきた彼に、腰が立たないまま、声をかけた。
一言だけ、ん、と声を発して、ギースは俺を見る。その表情が、至って普通で、今の今まで俺を抱いていたとは思えない顔で、俺は思わず目を逸らした。
すると、俺がはっきりものを言わなかったのが気に入らなかったのか、ギースは俺の顎をちょっとつかんで目を合わせた。
「どうした」
意外と機嫌の悪い顔ではない。
俺は言い淀んだ雰囲気を出さないように、できるだけしれっと言葉を紡いだ。
「あんた、いつも、まじめに抱くんだよな…」
一瞬、キョトンとした顔が目の前にあって、しかしまたすぐ、いつもの顔に戻る。
「意味が…良く判らんが…」
真意を掴み損ねたような表情で言う。確かにそうだ。俺が真意を乗せ忘れてる。
「いや、あの…すいません、なんか、いつも俺ばっかり…」
その反応に、慌ててしまっていつも、「答え」を言ってしまう。
彼は少し笑いながら俺の頬を指でなぞった。
「謝ることはないだろう? 痛い思いをしているのはお前のほうだろうしな」
そうだろうか?
「がむしゃらに貪るのにも、飽きた」
本当に?
「私なりに、楽しんではいる」
本当に、それでいいんですか?
「……か?」
かすれたような声が、自分の耳に届いた。
多分、ギースにも、聞こえている。
そして、それには決して、答えない。
いつもの、こと。
急に顔が近づいて、横になったままの俺の、唇がゆっくり塞がれる。少しずつ力をいれて、徐々に深くなるその行為は、俺の体を再び熱くさせ始めた。
「俺…どうしたらいいですか?」
また、真意を乗せ損ねた。
「…面白くないですよ。なんか…」
もう一度、唇が塞がれた。黙れという意思表示なんだろうか。今度は口を抉じ開けられ、中で粘液が絡みついた。正直、息が上がって、苦しかった。
「もう一回だけ、いいですか?」
目の前の顔が、わずかに反応した。
俺の方から、求めることなんて……。
けど、こんなときくらい。
心が満たされないときくらい、身体を欲しても、許されるんじゃないだろうか。
体を起こして、ゆっくり屈みこむ。静かに顔を近づけると、目の前の身体が開いた。
少しだけほっとしながら、脚の間に顔をうずめた。
頬に触れた熱さに驚く。頬から唇を近づけて、舌を出し、全体を丁寧に舐め上げる。きっとまだ、口には入れない方が良いんだろうな……。そんなことを思い、体を臥して懸命に舌を使っていると、ふと、見上げた顔と目が合った。
かっと頭に血が上って、視線を逸らすように目を伏せて、恥ずかしさを紛らわすように、俺はこの人を口中に招く。
熱い。
口の中だというのに、それ以上の温度を感じる。
ゆっくり首を動かして、舌を使って、唾液を零しながら、吸い付いて、絡んで……。
ちょっとの反応でも感じ取れるのが嬉しかった。少しずつ少しずつ。この人が自分の中にいるのだと、実感しながら、行為を続けていた。
このまま、……構わないのに。
そう考えた瞬間、また、僅かな反応を感じた。
もう少し、と思っていた矢先、耳の後ろから手を這わされ、ちょっとビックリして顔を離す。不意に顎をとられ、俺は顔を元に戻せなくなった。
「あ、…?」
ギースが身体を離す。俺は追いかけて顔を近づけようとした。
「んっ」
身体を転がされ、ベッドの上で半回転をする。ほとんど仰向けになった状態で、今度はギースの身体が近づいてきた。
「今日は悪いが、そんな気分ではない」
気持ちを見透かしたかのように、俺の顔を覗き込んで、そう、言った。
ギースの、少しだけ上がった口の端に、視線がくぎ付けになる。
でも次の瞬間には、俺はギースにしがみついていた。
ギースが俺を抉じ開けて、入ってくるのが判ったから。
この人は、わざと真意を乗せない。巧みすぎて…俺はいつも、踊らされる。
もともと、他人を受け入れるようには、俺の身体は出来ていない。本当は、俺自身も。
けれど、今日は一度、既に受け入れて。長い目で見れば数え切れないくらい、俺はこの人を受け入れている。
俺が身体を開くのを待つように、決して押し込むようなことはせず、俺の顔色を確かめながら、この人は俺を侵す。
身体が覚えている、感覚。そうだ、ここで、息を、吐くんだっけ……。
「っ…!…あ、あ、…」
力強く、ゆっくりと、身体を進む感触に、息を吐くだけのつもりが、たまらず声になる。悲鳴にも近い、大の男が出すような声じゃない。
「いや、あっ…」
嫌じゃない。けれど、
「だ、めぇっ」
おかしな言葉が、出る。
背中と腰に、電気でも流されているみたいに。自分が呼吸をするような動きでも、何倍にもなって返ってくる。
身体が拒絶を始めたのが判る。彼と接した部分から始まった痙攣が、全身に回りだす。イヤだ。この人を、拒むなんて、したく、ない。
必死で感覚を押さえ込んでいると、少しだけ、身体にかかる力が弱まった。
「無理は、するな」
本当に、この人は、
「む、りじゃ、…いですっ…」
なんて、マジメに、抱くんだろう…。
少し力を抜かないと。
少しでも力を抜いてしまったら。
「ふっ…く、…」
俺は、壊れてしまう。
「ビリー」
名を、呼ばれた。
鼓動が一度だけ、跳ね上がった。
どうしよう。
どうしたら良い。
どうしたら、良い?
「ビリー」
再び、名を呼ばれた。
「焦るな」
焦ってなんか……。
…焦って、いるんだろうな…。
恐る恐る顔を上げたら、目が合った。少し、笑っていたように、思う。
軽く、顎をとられて、唇が重なった。動悸が、また激しくなった。
また、俺ばっかり。
「このままだと」
耳元で声がした。
「私は動けんぞ?」
一瞬、はっとしたのもつかの間。耳を軽く噛まれて、俺は身をよじる。しかし、あまり動けばより強い感覚が自分に返ってくるから、必死に押し殺すように、ギースの背に腕を回した。
「もう少し、力抜けるか」
感覚が慣れて来たのが解ったのか、ギースが俺に促す。
「は、……んっ……」
Yesが出てこない。力を抜けば、別な声が、出る。
「…う、ごいて…下さい…だいじょう、ぶ、です、から」
必死で力を抜いた。
「ひっ!」
奥まで押し込まれたまま、
「あっ、あっ、あっ」
ギースが、律動を、始める。
激しい摩擦は感じない。けれど、接点が、熱い。
「んんっ! あっ、ああっ!」
もう、こんな声しか出ない。
背中に回していた腕はいつのまにか外されて、ギースが手首の上から、両腕をベッドに押し付けている。
身動きが取れなくて、求めることができなくて、だから、顔を叛けることもできずに、俺は顎を上げて口を薄く開いた。
「んぅっ…」
ギースの唇が重なる。口腔を犯すように入ってくるこの人の舌に、夢中で噛み付く。
もっと、もっと……!
「いっ! や、ぁッ」
身体が跳ねた。
両腕の戒めは既に解かれて。
ギースの手が、俺を、弄んでる。
自由になった自分の手が、シーツを掴んでいたことに気づき、今度は彼のうなじに腕を回した。頬と肩の間のラインに掌を這わせ、届く範囲で唇を寄せる。何度も、何度も。
「や、ギース……も、やめ……」
限界が近い。
ダメだ。このまま流されたら。
また、俺ばっかり。また、俺だけ――。
「ビリー」
声の主と、目が合った。
「いけ」
その言葉だけで、
「は、あっ…―――――!」
限界を、超えた。
もう一度、ギースの顔が近づいて、今度は俺が、きつく舌を吸われた。
肩だとか、腰だとか、痙攣してガクガクと震える中。
やや、遅れて、
「ん、んっ!」
身体の奥に別の感覚が放り込まれる。
それがなんなのか、もう、俺には判らなくなってて、気がついた時は、ギースが俺から離れて、随分時間が経っていた。
「ビリー」
額に手の当たる感触。
俺は眠っていたわけでも、気絶していたわけでもないが、目を開いたままぼーっとした表情で横臥していた。
「お前、朝までそうしているつもりか?」
ギースの表情は、なんだか珍しいものを見ているようだった。
そんな顔をしたいのは、俺のほうだというのに。
「シャワーくらい、浴びたらどうだ」
なんだか今夜は、ギースのほうが、饒舌だ。
だろうな。いつもなら、フラフラでも真っ先にシャワーを浴びに行くんだから。
「もう少しだけ……こうしてますよ……」
実際腰は立たないし。脚の関節がなんだか痛いし。意識は朦朧としているし。
他にも理由なんかいくらだってつけてやるけど。
一番の理由は、教えてやらない。
ギースはまだ少し、真意を探るような表情をしていたけど、
「……そうか」
解ったのか、諦めたのか、一言だけ言って、俺の髪を撫でた。
その行為を、俺は心底、気持ちがいい、と、感じた。
-Fin.-
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