忙中の休暇者たち
遮光カーテンを引いた薄暗い部屋で、ギースが寝息を立てている。
珍しい光景だ、とビリーは思った。
忙しい業務の合間を縫って、無理やり突っ込んだ休暇。普段なら、私邸のほうでゆっくり休養をとるのだろうに。
その休養も仕事の一つ。
以前にそんなことを言っていた気もする。
そんな、仕事詰めになっている彼を見るのが嫌で、今回の旅行を計画したのに。
ビリーは立ち上がってカーテンの外を眺めた。
「海か……」
南国の島の海は青くて綺麗だと思った。わざわざ、リゾート地として名を馳せてないような場所を選んだのも、人が多ければうんざりするばかりだからだ。
けれど、いざ現地に着いたら、そのままギースはベッドへ倒れこんでしまった。
移動中も常に書類を目を通して。あれでは身体も気持ちも休まらない。
チェックインの後、少し横になる、と、一言だけ言い残して、以降ギースは目を開けない。
眠り始めた直後に一度、ブランケットを身体へかけたら、少しだけ反応を見せた。ライトの光を落としたときも。
そして、その後は寝返りすら打っていない。先ほどカーテンを引いたときも、室内の温度調節のために枕元に寄ったときも。
「ほんとお疲れですよね…いつも」
たまには気を抜けばいいのに。そう思って、ここにつれてきたのに。
やれやれ、とつぶやいて、ギースが眠るベッドを上から見下ろす。ギースの寝顔を見るなんて、どれくらいぶりだろう。
呪いでもかけられたように、静かに眠るギースに、ちょっとだけ、触れたい衝動に駆られた。
「やめた。絶対起きちまう」
口の中で呟きながら、ベッドの脇の床に腰を下ろす。背中をベッドに押し付けて、首をひねって彼を見やると、毛布に隠れた肩が、ゆっくりと一定のリズムで動いている。
明日には、帰らなくてはならないから、起きたらせめて、あの海だけは、見てもらいたい。
そんなことを思いながら、ビリーは小さく、深く、ため息をついた。
「ビリー」
名を呼ばれて目が覚める
「ビリー」
「あ、俺……、眠っちまってました?」
ベッドによっかかったまま、眠ってしまっていた。声のするほうを見ると、ギースが上半身だけ起こしてこちらを見ている。
「すまないな、寝てしまったようだ」
普段、そんな台詞をはかないだけに、ビリーは少し面食らった。身体を起こして立ち上がると、ベッドにひざを片方乗せて、ギースの顔を覗き込む。
「なんだ」
おそらくギースがつけたのか、サイドランプの明かりに照らされて、彼の髪の毛がオレンジ色に透けている。
「少し、休めました?」
「……ああ」
「良かった…」
心底ほっとしたように、にっこり笑んだビリーに、今度はギースが少し面食らったように
「悪かったな…」
また、らしくない台詞を吐いた。
「ギース様」
「ん?……」
ビリーが覗き込んだ顔をそのまま近づけた。
しばしの沈黙。
ゆっくりと、顔を離して
「ダメですよ、そんなこと言っちゃぁ」
引っ張りまわしたのは俺なんですから。そう言って、一旦ベッドから降り、同じ場所に今度は腰をかけた。
窓からの光の具合から見るに、もう夜になってしまったのだろう。でも、不思議と、残念だとか、不満だとか、そんな感情は無い。休めた、の一言だけで、ビリーには充分だった。
「飯でも食いますか?」
「…そうだな」
「それとも、もう少し休まれます?」
「……そうだな」
「明日、帰る前に一回だけ海見に行きましょう」
「そうだな」
くすくすとお互いに笑いながら。
「今から浜辺じゃ危ないですかね」
「…そうだな……。いや、行ってみるのも悪くはないだろう」
ちょうど、月が出ていて、青白い砂浜がうっすらとその輪郭を見せていた。
「へぇ、夜の海も、綺麗ですねぇ」
意外そうに呟いたビリーの言葉を受けて、ギースは海を見つめながら口を開く。
「何を言ってる。夜ほど、総ての印象をがらりと変えるものは無いぞ? ロンドンの時計台、日本で見た桜。サウスタウンの無機質なビル郡ですら、装いが変わる」
「……結構、覚えているもんですね」
それこそ意外だった。そんなものに、興味はないのだと思っていた。
「ココの、昼間の海は、あれですよ、あんたの目に似てる」
青くて吸い込まれそうな。深い、深い色。
「そうか」
一言応えて、まだ海を見つめているギースの顔が、綺麗だった。
「判りましたよ」
浜辺をゆっくり歩きながら、波を蹴っ飛ばしていたビリーが急に口を開いた。
「なんだ」
「あんたを本気で休ませようと思ったら、とことん疲れさせちまうのが一番だってね」
「それは難儀だな。困ったものだ」
「ホント、まったくですよ」
青い海よりも、静かな浜辺よりも、そういう意味では、価値のあった休暇。
明日からは、またいつもの生活に戻って。
でも、少しだけ、新鮮な記憶と、新鮮な刺激で、日々の疲労を追い出せた気がした。
-Fin.-
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