ギース・ハワードの花嫁(8)-Southtown-

 ネーム多いですね。ごめんなさい。

 前にBBSだか100質でちらっと言った、工場大暴れの翌朝、ギースがビリーをダウンタウンの方へ送る際に、橋の上でフト立ち止まってした会話。

 ビリーは、私の中では、このとき、このサウスタウンをめっちゃめちゃキライだったんです。もともと両親達と住んでたところはココじゃなくって、勝手な見解ですが、イギリスのどっかの郊外というか。や、ロンドンでも良いですけど。どっちかっていうと、郊外…詳しくないので強くは言いませんが。

 両親のお仕事の都合か何かで、サウスタウンに移住してきて、んで、事故で親を失う。治安の悪い下町で、妹を守りながら、命と生活とを守るためにケンカをし、俗語を覚え、とんがっていく、そんなイメージがありました。

 だから、この前の項目で、「這い上がるもの」でなかった、というのはそのためなんです。敢えて「攻め」に出る必要は無い。彼はただ、「安全で安定した生活」が欲しかっただけ。

 でも、サウスタウンブリッジの上、ギース・ハワードが口にしたのは、この街の「可能性」だった。何を手に入れられるのか、それは自分次第であると。多分、その中には「お前にはその可能性を最大限高めるだけの"技量"があるんじゃないのか?」ってニュアンスが含まれていたんじゃないかと。くすぐり文句。

 コレはですね、アタシの「サウスタウンについての考察」でもあるんです。サウスタウンって、アメリカのとある街って設定でしたよね。アメリカって国自体が、なんかこう、なんでもかんでも受け入れて取り込んでぐぁ~~~ってたけのこみたいに成長してるってイメージがあって。

 移民とかもガンガン受け入れてて、んでアメリカンドリームじゃないけど(いや、あってンじゃん?)のし上がろうと思えば、力があれば、ガンガン上まで行けるっていうか。

 あと、華人さんたちの総会みたいな、組合とかユニオンとかギルドとか座とか、なんて言うんが良いんかわかんないけど、そういうモノの雰囲気つーか。力のあるトップと、その力を少し借りつつ、己ができることについて、力を求められたとき、喜んで協力する(もし嫌でも、しなければならない)ような、そんな世界。

 映画『ゴッドファーザー』も、ビト・コルレオーネは移民だったし。なんかね。そういう、新参の流れものが、「発起」して「一歩踏み出す」コトによって、変わり、また安定していく、そういうのが、イメージの根底にあったりして。同郷連合とかできてったりしてね。また受け入れ態勢が整うとか。

 ギースがついた組織はイタリアンマフィアって設定があるようで。私的にはどうにも、ファミリー要素強いっていうか、結構排他的なイメージがあるので、ジャーマニーのギースがのし上がるのは苦労したろうなーとか思うんですが。でも、それすらも「できてしまう」街。

 「サウスタウン」という街は、何かしら、やってやろうという人間にとって、「何も与えてはくれない」代わりに「総て手に入れられる可能性を持つ」、そんな街なのではないかと。

 一枚追加しました。えと、ラストのビリーの答について。  やっぱ、「今は?」の後は、流れから言って、コレかな。と。

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